ルンルの会

鳥インフル
エンザと鳥居

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伏見稲荷の千本鳥居
蟲師(むしし)
 漆原友紀が描いたコミック『蟲師』(むしし)、大友克洋が監督した実写映画にもなりましたが、あれに出てくる蟲をウィルスと考えたら辻褄が合います。映画の出来栄えを酷評する人が多いのですが、大好きな蒼井優が出ているのと映像表現が実に美しいので当方は高く評価している作品です。蟲師は架空の職業ですが、大昔から伝わっている風習の中に蟲封じを目的としたものが世界中にいっぱいあると言う事で出エジプト記もその顕著な例です。電子顕微鏡でやっと見ることが可能になりましたが、人類は大昔から鳥インフルエンザウィルスと戦ってきたと言うことです。つまりスペイン風邪に始まった訳では無いのです。聖書の出エジプト記の「滅ぼす者」は正に鳥インフルエンザウィルスの事です。

出エジプト記とは
・・・主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである・・・モーゼはイスラエル民族を率いてエジプトから脱出しようとするが、エジプト王は許さない。絶望するモーゼに神の言葉が降る。「この月の10日に小羊を捕り14日に屠って流れ出る血を戸口に塗れ。目印にあるようにべったりと。そうして家に閉じこもっているように。その晩私の使いがエジプト中を風のように過ぎ越して、目印のない家に生まれた男の初子たちをすべて殺していく。そしてお前たちはエジプトを旅立つことになる」 その夜、神の教えに従ったイスラエル人の家には何事もなかったが、目印がないエジプト人の家では男の初子は皆死んでしまった。このことに怯えたエジプト王は夜を待たずにイスラエル人の出発を許した。イスラエル人はそれを記念して未来永劫に過ぎ越し(Passover)を祭ることを誓ったという。・・・過越しの祭り(ペサハ)の起源。ウィルスは入り口に塗られた羊や山羊の血に群がるので、イスラエルの民だけが感染することなくエジプトを脱出する事ができたと言うわけです。男の初子(長子)が死んだとあるのは、赤子と言う事ではなくて一家の長男ですから、寿命が長くない時代の長子は10〜30歳とすると正にサイトカインストーム(免疫の過剰反応)でバタバタと死んでいった年齢にぴったり当てはまります。

他の国でも
 インカ遺跡では、ケンコー遺跡の上には、ジグザグに掘られた跡がある。いけにえの血を流したという話である。トロイ遺跡では、その下に3つも井戸があるが、ガイドの説明によると、このうちの大きな井戸は儀式に使うきれいな水をくみ出すため使われ、後の2つの井戸は、大地の神様に生贄の羊の血をささげるために流し込んでいたものだと言う。 ネパールでは、みんな山羊の体から噴き出る鮮血で赤く染まる。「ダサインにおいて最も重要なのが、新鮮な血なのだ」と村の長老は言う。流れる血はヒンドゥーの神様へ捧げられる供物なのである。・・・ヒンドゥーではカーリー神に鶏、山羊、水牛の血が捧げられます。 朝鮮では、朝鮮半島の田舎では諸病を防ぐために「蘇民将来之子孫海州后人」の文字を、縦三寸横一寸の赤紙に書いて門戸に貼っている。また冬至の日に小豆を煮てアンコ(血の代用)にして、部屋の鴨居に塗りつけ、正月15日に部落の入り口にしめ縄を張る祭祀がある。

日本では
 こんな記述を見つけました・・・家の入口に血を塗りつける」という風習は、現在の日本の「神社」にある「鳥居」などに見られ、日本民族が遠い昔に中東から渡ってきた「移民」であることを証明しています。・・・稲荷神社の赤い鳥居は鳥インフルエンザにその起源が有ったと言う事です!!
色々なサイトで鳥居の起源を調べましたが、何故紅く塗られているのか、何故「鳥」と言う文字が入るのかを明確に説明しているものはありません。血を塗って、鳥インフルエンザから人を護ったと考えた時に、全ての辻褄が合います・・・更に伏見稲荷大社を創建したのは渡来人の秦氏です!!
 これも関係がありそうです・・・琉球地方にはこれに似た風習があって、「看過」とか「シマクサラー」などと呼ばれます。牛や豚を屠ってその血を家の門口に塗る疫祓いの風習です。看過というのは見過ごすという意味で、過越と名称まで一致しています。

茅輪(ちのわ)・・・茅=チガヤ
 京都の祇園や伊勢地方を中心として伝わっている風習があります。家の玄関に「蘇民将来之子孫也」と書いた護符を飾っておくというものです。疫病が流行したときなどに、この護符をつけることによって禍から免れたということです。また、代わりに茅輪(ちのわ)を腰につけたりもします。これが後に、6月30日や大晦日に神社で行われる茅の輪くぐりになりました。茅の輪が使われるようになったのは、「血の輪をくぐる」代替行為ではないかと思ったりします。 古代イスラエルの過越しの祭りで、血を塗った玄関をくぐることは「血の輪をくぐる」といえるでしょう。ケガレを嫌って血を塗ることに抵抗があった日本人たちは、血の代わりに茅(ち)を使うようになったのではないか、と。そして神社では、血を塗る代わりに朱の鳥居を作るようになったのではないか。・・・・ このサイトはかなり良い線まで行っていますが、鳥インフルエンザまでは気付いておられません。更にこの記述が補足になります
 現在でも八坂神社などでは赤い地の紙に金色の文字で「蘇民将来子孫之門」という札を配布しているが、その由来はこの故事を基にしている。何故赤い紙に金色の文字かというと陰陽道で「疫病神が嫌う色」とされているからである。・・・・秦氏はエジプトを脱出したイスラエルの民が朝鮮半島で定住した後に20万人規模で日本に渡来したと言う説がにわかに信憑性を持ち始めました。そこから藤原氏・天皇家にも繋がりますね。
民族大移動に関するやけに詳しいサイトが有ります。

先人の知恵を抹殺する正義
無知な動物愛護団体の人達が残虐だと中止に追い込んだ様々な儀式が、実は人々をウィルスの危機から護る為であったと言う事です。同じ事は環境問題を金儲けや、政治の道具にしたり、自己顕示欲を満足させたり、コンプレックス解消に利用する人達によって中止に追い込まれたものの中に、人が人としてある為に欠かせない、心の環境を護る大切なものを抹殺してしまったのでは ・・・・また憎まれ口をたたいてしまいました。

旧約聖書に描かれた時代から人類は鳥インフルエンザウィルスと戦ってきた歴史が有るにもかかわらず、いまだに政府もマスコミも何も伝えようとしないのは変ですね。

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