昭和天皇が人類滅亡の
危機を阻止した?

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本の表紙
 知人から日本製原子爆弾の話を聞いて、もっと知りたいとネットで調べたらこの本を見つけました。最初は、ノストラダムスの五島勉さんか!と、やや胡散臭い気持ちで読み始めたのですが途中で姿勢を正しました。
  誇りを持てずに原罪意識に苛まれている日本人が、この本に書かれている程度の事実を知るだけでも意識が随分変わることでしょう。
祥伝社「日本・原爆開発の真実」五島 勉 848円  

以下にさわりを少し・・・天皇がただ地位の高いだけの人だったら、そんな科学者の危機感など通じなかったかもしれない。しかし昭和天皇は天皇であるとともに、優れた生物学者でもあった。忙しい公務の合間に、天皇はわずかな暇を見つけては葉山の御用邸へ行き、海辺で何種類もの小さな原始的な生物の新種を見つけている。
 その生態を、愛情をこめてスケッチしている。皇居の庭に生えた名もない草花も、やはりいくつか新種を見つけ、スケッチしたり写真に撮ったりしている。そこから見えてくるのは、環境の変化や災害や戦火にいつも脅やかされている、か弱い、しかし必死に生きぬこうとしている物言わぬ小生物たちへの、切ないような視線である。

 そこに、何十万人もの人間を一瞬に焼き尽くす原爆の構想が被さってきた時、それは絶対に許しがたい滅亡戦路の始まりだと天皇は感じただろう。そこにもう一つ、自分の利益というものを考えないように育てられた帝王学、あるいはもともとの無私の性格が加わった時、その悪の新兵器は「全人類を滅亡させることになる、賛成しかねる」。
 この静かだが強い阻止命令が発せられたのだろう。しかもそれは一回だけの阻止ではなかった。この阻止と拒否の強い言葉を聞いて、東条首相は恐懼して(きょうく ・・・おそれいって)、すぐ原爆開発の停止を決心したが、杉山元帥はそうではなかったからだ。杉山元帥もやはり恐懼はしたものの、それでも「勝つにはどうしても原爆が必要だ」と考えた。  

 それでその後も、全責任は自分が被ることにして、そっと開発を続けさせ、ついに「原爆を積むロケットの燃料実験」をやるところまで漕ぎつけた。いつどこで、どんなロケットのどんな燃料の実験をやったかはわからない。しかし、それをやったことだけは、杉山元帥自身があとで岩田氏に明言した。ということは、日本はミニ原爆の本体だけでなく、それを積んでハワイやサイパンの米軍基地へ突入させられるだけの、おそらく初期の小さな核ミサイルまで、大戦末期に完成しかかっていたということだ。
 「ところが、そのロケットの燃料製造過程で、誤爆事故が突発」、それがふたたび陛下に・・・・

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