平和への道は

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電線にとまる鳩
正義感や使命感に燃えて行動はしないこと・・・・るん・るでどんどん力を緩めていくと・・・・そんな気がしてきました。  

「大変だ大変だ」という人の話を次々に聞きに行ったり、平和の為のチャリティうんぬんにはしごで参加したり、こんな凄い技術が出てきたから世の中は良くなる等と聞いて時間とお金をかけて見に行ったり・・・・あそこに行けば癒されると聴いてわざわざ飛行機に のって遥か遠くの島を訪ねたり・・・・

裏返してみれば、今は大変だ、今は悪い、いまある技術は役に立たない、常に今より先にあるものが世界を救う、身近な処に良いものは無い、お金を掛けなければ良い事はできないと自分に刷り込んでいる訳です。  

「現実を見ない何にもしない人間がこんな世の中を作った」等と非難されても、気にしなければ心は波立ちません。一人一人が自分なりに判断して、自分なりに行動したらいつでも平和は目の前に出現するように思えてきました。

海外でバリバリ活躍し、ある時その空しさに気付いてNGOに飛び込んでまた大活躍し、今は田舎で自然農法に取り組み様々な情報をITを屈指して発信している・・・・・等と言う典型的なパターンの生き方を敬っているだけでは本当のところは観えてこないように思うのは天邪鬼でしょうか?


講演している本人は様々な理由でそうせざるをえなかったのでしょうが・・・・ 真実が隠蔽され美化された明治維新神話によって色濃く身に染み付いた舶来信仰が海外での活躍を敬うと言う意識を作っていると見るのは意地悪でしょうか?  

テレビを観ていてこんな事も気になります、世の為、人の為にやっていると取り上げられる活動の周辺には何故かトレードマークのように髪をちょんまげにしたり髭をはやしている人が多いのはどうしてなんでしょう?

最初は忙しくて散髪も髭剃りも出来ないと言うところから始まったスタイルとは思うのですが・・・・自惚れとコンプレックスの裏返しと見るのは天邪鬼ですか?  

普通に生きている人が講演を聴いて「私の生き方には価値が無い」とか「世の為、人の為になる事を何もしていない」と落ち込むようであれば・・・その人物なり活動を追い求める自分の本心は何処にあるのか?・・・と問い直す事も必要なのかもしれません。

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