37年前の恩人

2002年 3月

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新築現場
37年前、家が
全焼しました。

大学2回生の時です。火災保険を掛けていなかったので全くの“着の身着の儘”になりました。社会的に地位のある親戚は何軒か近くにあったのですが、 「火事を出すような者は親戚として認められない」と絶縁を言い渡され ました。  

救いの神様は
寝る場所もない母と私と祖母(父方の)にどうぞ部屋を使ってくださいと手を差し伸べた一家がありました。その一家は二部屋しかない家に5人で住んでいます。 「住む所が決まるまで、いつまで居てもいいですよ」と一部屋を空けてくださったのです。家族構成は、母親、長男夫婦、次男、三男だったと記憶しています。 一週間ほど泊めて貰ったと思いますが、一室に5人がギュウギュウ詰で寝ておられるのが分かっているので、それ以上は甘える気にはなりませんでした。

物置を住処に
さいわい小さなプレハブの物置が半焼けで残っていたので布団を買ってきて住めるようにしました。火事の半年前に、たまたま桃畑を一反手に入れていました。火事で焼けた土地は国鉄(JR)の駅のすぐそばだったので、すぐに買い手が付いて、売ったお金で桃畑に家を建てました。そこに現在、会社と自宅があります。

最近ではめったに
見ない太い柱

使って家が建ち始めています。犬の散歩をしている道の横です。ある日、施主らしい男性が工務店の人と立ち話をしていました。37年前に部屋を空けてくれた一家の長男のようです。その時は声を掛けられなかったのですが、人づてに聞いた話では、住んでいた土地に新しい道路が走るので、代替として市が土地と 建築費用を出しているようです。(どの程度か知りません) 今日の朝に犬の散歩をしていたら、向こうから歩いてきたのが その人だったので「××さんですか?」と声を掛けると向こうも 「面影があったので、そうかなと思っていました」との返事です。 建ったら遊びに来てくださいと誘ってくださいました。

身近に困っている人がいたら
思わず手を差し伸べる人には、思いがけない幸運が舞い込むんだ と確認できてホンワリ心が温かくなりました。口では慰めの言葉をかけられても、自分自身が隣人に同じことができるだろうかと自問しています。

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