ルンルの会

20歳の時に家が全焼

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満州画像
 満州国新京特別市(現在は長春)、HP管理者は此処で生まれました。母の背中に負ぶわれて帰国しましたので記憶はありません。ところが初めて中国旅行をした時に、バスの窓からポプラ並木を見ていたら涙がこぼれました。
火事で焼け出された土地に行った
 いつもはPM8:00になると犬の鎖を解き放っているのだが、痴呆症の 義母を義兄が連れてくるので、それまでに散歩に連れて行くことにした。 というのは2匹が同時に帰ってきたら問題は無いのだけど、どちらかが 2時間近く放浪して、こちらがお風呂に入っている時や、ビールを飲んで酔っ払っている時にハッハッと荒い息づかいで餌を頂戴と催促する事があるのだ。
※今はアルコールは一切飲んでいません。(2015年現在)  

 朝の散歩コースになっている草原はいたるところに犬のウンコが落ちて いるので暗くなってからサンダルを突っかけて入っていく勇気は無い。東京オリンピックの年に家が全焼した。大学2回生の時で、中学2年生の時から収集したSFのコレクションは綺麗さっぱり灰になってしまった。場所は今の家から歩いて15分ぐらいと、ほんの目と鼻の先にある。 よし!今日は4歳から16年間を過ごしたあの土地まで足を伸ばそう。火災保険を掛けていなかったのでその土地を100万円で売って、火事 の半年前に手に入れた桃畑に100万円で小さな家を建てたのが、今の場所に住む一歩となったのだ。売った土地は駅に近いのですぐに買い手 があって、100坪ほどの敷地に小さな家が建ち、子供が一人いる中年の 夫婦が入居した。

  ところが氣のレベルが低い土地で夫はすぐに死んでしまって、母子で20年ぐらいは住んでいたけれど、知らない間に何処かに引っ越してしまった。それから10年以上経ち、今は雑草が生えた更地になっている。目と鼻の先にあるのに、その土地に足を踏み入れる気持ちにならなくて、 36年ぶりに犬と一緒に真中に立つと、何か不思議なフワ〜と温かい空気が 感じられた。住んでいた当時のブロック塀がそのまま残っていて、その前で犬はクルクルとまわってウンコをポトポト落とした。
引揚者は物に対する感覚が少し違う
 満州国新京特別市(現在の長春)で優雅に暮らしていた母は、昭和20年 の終戦を前にして全ての財産を残したまま、一人息子を背中にしょって着の身着のままで朝鮮半島を様々な目に会いながら歩いた。69歳で没するまでネパール、スリランカ、エジプト、ナスカ高原その他、20年前当時旅行社が企画できるところは殆ど行ったのに、すぐ近くの朝鮮半島 だけは絶対に行こうとしなかったのは、よほどいやな目に会ったのだろう。そんな母と二人で、よく燃えている家を駅のホームの端っこに座って「よう燃え るもんやな〜」と笑いながら見ていた。  

 荷物を運び出そうとする人に「怪我をしたらあかんから、もういいですよ」と母が言ったのが田舎の人にとっては異様に見えたらしい。理解できないままに「あれは自分で付け火して、保険金をだましとろうとしてるのや」と隣家の住人が消防団員 に告げ口して、怒った彼らは消火作業を中止した。 父方の親戚は、援助の手を差し伸べる事は無く、火事を出すようなものは親戚とは認められないと絶縁を申し入れてきたので、こちらもあまりの冷たさに呆れていたので「ハイ分かりました」とあっさり承諾した。一晩泊めただけで親戚の家を追い出された時に「いつまで居ても良いですよ」と 援助の手を差し伸べたのは、近所からは格が低いと見下されていた、小さな家に住む極貧の一家だった。

  二間しかないのに、6人家族が一部屋に移って、我々親子と出火原因の父方の祖母の3人の為に部屋を用意してくれた。全ての物を無くす体験は母は経験者だが、こちらは初めてだったので実に貴重 な体験となった。 こだわって集めてきた物が、真っ黒な灰になってしまうのは誰にでも体験できる事 ではないけど、あれほどさっぱりした気分になるものは他には考えられない。それ以来、物に関しては通り過ぎて行くものと受け止めるようになった、そうだから こそ少し手を加えたらまだ使えるものがゴミとして捨てられていると可哀相になって拾ってしまう。1998年10月記述

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