ルンルの会
植原先生の
還暦を祝う会

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庄屋の家
 植原先生の還暦を祝う会が西新宿のホテルで開かれました。参加者は年齢、性別、社会的役割は千差万別、実に多彩な顔ぶれでした。ルンルと植原先生大好き人間がこんなに大勢いるんだ!と再認識しました。謝辞の最後に先生がこんな事を言いました。

 お釈迦さまは一度も”世の為、人の為”と言って何かした事は有りません。近付いた病人が勝手に治ってしまうのであり、お釈迦様は治療しよう等とは考えていませんでした。

 人生とは生老病死の四苦八苦を生きる事などと言ってません。

 晩年のお釈迦さまは、弟子のアーナンダの案内でふらふらと、色々な村を訪ね歩いて「あ〜面白かったね、楽しかったね、次は何処に案内してくれるのだね?」と言っていました。

おせじにも綺麗とは言えい会場
 次の日は12月24日で、我が家でクリスマスパーティをします。祝う会がPM8時過ぎに終わると同時に会場を飛び出して駅に向かいました。23日中に帰りたかったのです、丸ノ内線が近かったのですがJR新宿駅迄歩きました。地下鉄代が浮くからです。安売りチケットを往復買っていて、出発が東京都内になっていたのです。
 東京駅に着いて新幹線乗り場へと急ぎ、改札口でチケットが吸い込まれて・・・・仕切りが開かない!!
目的地までの列車は終了しました」の表示が点滅しています・・・ガーン恐る恐る「このチケット明日使えますか」と駅員さんに聞くと、ポンと小さなハンコを押してくれました。  

 丸の内側から駅を出て今夜の泊まる所を探しました。すぐにホテルは見つかり料金を聞くと、素泊まりなのに15000円もします。10000円前後と心積もりしていましたので、断って地下鉄の乗り場に向かいました。なんのあてもありません。料金表を見上げたら飯田橋の文字が目に飛び込んできて、ココしかないと感じました。飯田橋に着いて、この辺に安いビジネスホテルはないかとタクシーの運転手に聞いても、コンビニの店員に聞いても「さあ分からないね」という返事ばかりです。しかし用意されたところが必ず有ると言う確信は微塵も揺るぎません。

 10分近く歩いて、坂が多い町並みだと思ったら神楽坂でした。ビジネスホテルらしい建物は全く見当たりません、商店街に少し入って、ふと細い通りを覗いた時に目的の旅館を見つけました。  

 奥まった通路を入って、看板が無ければ普通の民家です。チャイムを2回押して随分待たされてから現れたのは、気さくな感じのおばあちゃんでした。そして彼女が今日の講師でした、聴衆はたった一人です。

 それから約2時間途切れる事なく、子育て、健康法、お金の事と講演は続きました。Fオープンワールドの講師の話のようには洗練はされていませんが、現時点で必要な情報は全て含まれていました。  

あらすじ
 山梨の大地主の家に生まれ、女学生になるまでお金を触る事は無かったそうです。農地解放で多くの土地を手放し、最終的にルルドの泉のような鉱泉の湧出する山林だけが残りました。水虫などは2回足を漬けたら治ってしまうそうです。その権利も、地元住民が利用しやすいように寄付したそうです。成田空港で通関士をしている息子さんに寄付したよと事後報告すると「お母さん、良い事したね」と喜んでくれたそうです。

 ◎子育てについては、別のページでご紹介する塚本達子さんが本の中で一生懸命伝えている内容を補完し、裏付けるものでした。

 ◎健康法は歩く事。良家の子女が通う女学校なので、友人達は人力車や馬車で学校まで送ってもらう中で、彼女だけバス停から1里の道を歩かされたそうです。その時は親の意図が理解できずに恨めしく思ったけど、お陰で今でもどんなに歩いても膝が痛くなることは無いということです。

 ◎お金については面白い話を聞きました。その当時貧乏だった人達がなりふり、手段を問わずにお金を掻き集めて今お金持ちになっている。だから下品で殺伐とした社会になってしまっている・・・うなづけますね

再確認した事
 必要な講師は直感、閃きに素直にしたがえば、あらゆるところに用意されている。ルンルのトレーニングはそういうアンテナを磨く働きがある。

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