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エドガー・ケーシー |
元奥さんから手紙が来た 1960年代に精神世界のリーダーとして活躍したJBRさんを、 奈良の橿原神宮のアパートに訪ねました。きっかけは、彼の元奥さん から生活の窮状を訴える封書が来た事です。生活費が底を付いた、 JBRは仕送りできる状況ではなく、5人の子供達の養育費に事欠い ている。高校の娘の学費を何カ月も滞納している。もし気持ちが有れば援助して欲しい。この手紙は、JBRさんがサイババさんについて記述した冊子を申し込んだ人や、縁のあった人全てに送付された模様です。あまりにも生々しい内容なので、どうしたものかと躊躇しながら十日程経ちました。するとJBRさん本人から、元氣玉(自家製の健康セラミックス)の売行きはどうですか等とのん気な手紙が送られてきました。サイババさんから祝福を受けながら、元奥さんが救いを求めるような状況を知った上で、少し非難がましい気持ちを底に秘めて返事を書きました。 電話がかかってきた 船井先生はついている人とつき合えと言われますが、ついてない人は見捨ててもよいのか等と、へそ曲り人間は妙な反発から一度会ってみようと決心しました。そして、エドガー・ケーシー、ブラウン・ランドーン、超越瞑想等を日本に紹介し、世界スブド同胞会の日本における開拓者が、何故不遇を囲っておられるのかを知りたいと思いました。 しかし活躍当時の彼を知らない私やN氏だけで訪問するのは、何か悪いなと気が付いて大先輩H氏にも同行していただきました。予想通り詫びしいアパートのドアを開けると、JBRさんは柱にすがりながら出迎えてくださいました。 現在72才、欝病とアル中に蝕まれ身体はボロボロ、四度目の妻にも最近逃げられた、私はもう長くはない。以前の3人の妻と他のを会わせると20人近く子供はいるが、誰とも音信不通である。市の民生保護を受け、ヘルパーさんが定期的に訪問してくれる。翻訳の他に自分でも本を書いたが、名古屋の和装学院の経営をしている○○さんが今でもスポンサーになってくれている。隣に住んでいる××さんは、サポート役として奈良まで付いてきてくれた52才の独身男性で、日雇労務者をしながら何かと面倒をみてくれる。彼の声は「先生、手紙あったら俺出かけるから、ポストに投げ込むよ」と録音されているのを聞いています。 屈託がなく純朴な感じで凄く好感を持ちました。 昔話に花が咲く 電話の時に「私は大きなカルマを背負わされている」「私は努めて、お金から自分の身を遠避けて来た」と話しておられたのを思い出しました。彼の意志の通りに事は進んだ訳です。ここで「ついている」「ついていない」は見方次第だと気が付きました。本や講演で多くの心に影響を与え、様々なタイプの異性と愛を交わし、その結果として20人近い「心と魂の入れ物」を造った男性は現代ではそんなに多くはいないでしょう。現時点でも彼の健康を気遣って、何処に隠しても必ず酒瓶を見つけて取り上げる愉快なヘルパーさんや、実の息子以上に世話を焼いて くれる××さんに囲まれたJBRさんを「ついていない」と見たのは偏見だったのかもしれません。JBRさん自身が自分の人生をどう思っているかは、本人の自由なのですから周りがどうこう言う必要はありませんね。 何が幸せか分からない 後で調べたら東大出でした・・・ 東京府立一中、武蔵高校、東大英文科卒。昭和27年よりフルブライト奨学生としてアメリカ・オハイオ州立大に留学。スウェーデンボルグの教学による教会に入信しようとして強制送還される |