ルンルの会
明石大橋
ブリッジウオーク

1998年4月

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明石大橋空中撮影
 三月二十一日、妻と二人で明石大橋に行きました。新聞の記事か何かで見て「開通前に人が歩けるらしいので行こか」と言いますので、明石に行け ば魚の棚で明石焼きが食べられると、その気になりました。有馬温泉には行ったことがないと、聞いていましたので「ついでに行こか」と提案しましたが時間的に無理やわ」と即、却下されました。新快速に乗り大橋を見ながら明石まで通りすぎて舞子に引き返す車中で、妙なアナウンスが流れてきます。「明石大橋ブリッジウオークに参加される方は、○色のゼッケンは舞子で、○色は垂水で下車下さい」。  

 ん!!なんだ、ゼッケンて何だ??あんな大きな橋やからまさか人数制限することもないやろと言いながら、ホームに下り立ちました。色々な社会的な肩書が付いていそうなおじさんや、警官や、お揃いの緑色のウインドブレーカーを着たおびただしい数のボランティアの人達が、口々に何かがなり立てています。「ゼッケンの無い方はここから先は進めません」と言っているらしいのです。皆の税金でできた橋だし、オノコロ島(淡路島)とアカシヤ文明、五色人、ムー大陸に繋がる明石に架けられた橋を、許可された人しか渡れないなんて、そんな馬鹿げた話があるか!二人でゼッケンを着けないままドンドン進んで行きました。

 大きな広場までたどり着いたところで、四人の係員に前を遮られてしまいました。プツンときてしまった私は、総合案内所と書かれたテントに飛び込みました。中には、きれいなお嬢さんが二人座っています。「京都から楽しみにしてやって来ました、まさか橋が落ちるわけでもないでしょ、通さないとはどういう事でしょう」と語気も荒く言いました。「参加できるのは、抽選で選ばれた方々だけです」と、お嬢さんは淡々と言います。抽選ていつの話かと聞けば、昨年の十月に新聞誌上で発表しましたとの事。

 納得できず、なおも言いつのりましたが、「貴方以外にも、何十万人という方が抽選に洩れて諦められました」と言って、顔が無表情な仮面に変わりました。隣にいた男性が「私もおかしいと思います、今私の家族は橋を渡っているのですが、ゼッケンが一枚足りないのでここで待っているのです」と話しかけてきました。妻が声を掛けた女性は、静岡から何とかなるかと思って来たけど、やはり駄目なんですねと寂しそうにしています。

 状況が分かった眼でゼッケンを見ると、9:00とか11:00とか時間が表示されています。事故が起きたらその責任は誰がとるのか、何がなんでも安全第一、そのような役人や識者と言われる方々の事なかれ主義に腹がたって、しばらく大声で周りの人達にアピールいたしました。プンプンしながら乗った山陽電車の中で聞こえてきたのは、「応募してもなかなか当らない」、「参加料として二千円が必要」、「風雨が強くて渡れない場合は、送付されたゼッケンと記念のTシャツで我慢する」と言う情報です。 (次の日の新聞によると、この収益は震災復興に役立てるとのことです)  

 予定は急遽変更です、念願の明石焼きを食べ、三宮から有馬温泉行きのバスに乗りました。520円出して入った温泉会館の金泉(赤い湯)は最高でした。ぽかぽかと気分は良いし、お天気も良いので町の中をのんびり散歩しました。温泉寺で立派な仏像に手を合わせ、山門の横を見ると湯泉神社に向かう石段が見えます。一組の親子連れが下りてくるのに擦れ違ってからは、全く人影がありません。運動不足かなと、互いにフウフウ言いながら、ようやくたどり着いた境内も私達夫婦の貸切りです。

 大巳貴命ほか三柱の神を奉った本殿、向かって右側にある天津神の摂社、左側にある国津神の摂社の順にお参りしました。掲げられた額を見ると、日本最古の神社の一つであると墨書されています。ここ数年、私の流れに変化を与え続けている、玉置神社との共通性に気付き、ドキドキしました。社の裏をぐるりと周りながら、そうか今日はこれで良かったのだと気が付きました。情報不足と、たまに感情を爆発させるのも良いものですね・・・妻も喜んでくれました。

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