ルンルの会
共産党員と私
1999年2月

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デモ隊と機動隊
同業者の倒産
 暮の28日に京都府内最有力と言われていた同業者が自己破産しました。年間売上高4億2千万円に対して、負債総額は3億7千万円と言うことです。社長のNさんは倹約家でバラック建てのような社屋で営業し、車も薄汚れたライトバンに乗っていました。教材販売業と言う仕事は、公立の学校が顧客なので、貸倒れは全くありません。普通では倒産するはずのない業種なのです。私の会社が倒産の危機に瀕したのは、以前書いたように、大口の仕入先が2億円以上騙し盗っていたからです。その要因を取り除いてからは、順風満帆へらへらスイスイです。

社長はマルクス主義者
 Nさんは、共産党員でした。私自身、その党の青年組織である民主青年同盟に近いグループで活動していました。ある時、本土復帰の為に戦っている沖縄の仲間と交流しようという話が持ち上がり、京都全域から百名近くが参加する事になりました。その時に男性一人、女性一人がパスポートを期日までに発給されませんでした。男性の一人が私です。うんと遅れて手に入れたパスポートを握って、リュックを背負い、A-Sign’sDaysの頃の沖縄を一人でトコトコ歩いたのは、大昔の話です。

営業車を貸したら返さない非常識
 そんなある日、布団を運ぶので一日だけ車を使わせて欲しいと党員から頼まれ、私が毎日営業に使用しているハイエースを貸しました。ところが一週間経っても返して来ずに、まったく面識のない青年が運転しているのを偶然路上で見つけその場で取り戻しました。その他にも色々あり、徐々に不信感が芽生えてきた時、農業をしている党幹部と家の玄関で立ち話をしました。当時道路の新設が盛んで、近隣の農家に次々と莫大なお金が転がり込んでいました。

痛いところを突かれて豹変した共産党員
  何気なく「商売ではお金が貯まらないけど、農家は土地を売れば大きなお金が入るのでいいですね」と言った途端、彼の形相が変わりました。私の胸倉をつかみ「コラわれどついたろか、百姓にとって土地がどんなもんや分かってるのか、お前のような奴は死んでまえ」と大声で怒鳴りました。それから間もなく彼は、農地の何割かを散々高く吊り上げて売り払ったのです。それを知って、カーときた私はグループを速脱退しました。

民青からベ平連に乗り換え
 それからすぐにベ平連に飛び込み、機動隊に挟まれて八坂神社の前をフランスデモする人になりました。京阪四条に向かう帰り道、南側の歩道を「がーんばろう、突き上げる空に〜」等と歌いながら歩いてる以前の仲間に北側の歩道から「民コロ帰れ!」と野次りました。向こうからは「トロ帰れ!」と野次り返してきます。 ところが何回か参加してみて「友よ〜夜明け前の〜」等と歌い「ワレワレはー」とがなる口調に欺瞞を感じ、嫌気がさしてそれも辞めてしまいました。

水中写真撮影が生甲斐に
 フラフラしている時にダイビング+水中写真コンテストという30年続く趣味に巡り合いました。スキューバダイビングを通じて知り合った仲間は様々な形で私の考え方、生き方に良い影響を与えてくれました。当時スキューバダイビングを趣味に出来たのは普通より高収入な人が殆どでした。学校教材販売と言う仕事で知り合う人達は基本的に生真面目で、破壊的なエネルギーを持つ人はまずいません。ところがスキューバダイビングで出会う人達は会社経営者、医者、土建屋、やくざ、水商売の女性等々、私が今迄縁の無かったような種類の人達が多かったのです。凄い顧客を持つ有能な古美術商や京都で唯一の法医学医師からはとんでもない話を沢山聞きました。パソコンの裏技は美人で鋭い感性を持つ、元ウェブデザイナーの二周り年下の女性が教えてくれました。ジャズボーカルが好きになったのも彼女の影響です。

N社長の敗因
 昔話はここまでにして、Nさんはとにかく売上を伸ばす事が善であり、その目的の為には隣の畑を侵略するのもいたしかた無いと 考えそのように実践しました。メーカーの懇親会で、泥酔するたびに「いずれおたくの地域にも行くから」と目を据えて私を脅迫されます。公立の学校では、4月になると定期的に先生が学校を移動します。Nさんの会社は4月が来る度に営業範囲を拡大しました。過去にソ連が近隣諸国の国境を侵犯した様に。その様なやりかたで40年以上が経過し、周りは全部敵になり、どの現場でも激しい競争を余儀なくされました。

疲れた社員が衝突死
  広大な地域をカバーする為に、移動に長時間を要します。疲れた社員さん(Nさんの弟)が、正面衝突死すると言う不幸な出来事も起こりました。終業時間もこちらよりはるかに遅く、疲れて道端に車を止めて寝ている姿を、よく見かけました。こちらは基本的に争いは嫌いで、攻められたら完璧に防衛しますが、こっちから侵略する事なく、ひたすら自分の畑を深く耕しました。その結果、様々な教材が高密度で売れるようになりました。それでも赤字がどんどん膨らむ中で、ルンルの会京都事務局を立ち上げたのです。よりいい加減になり、果報は寝て待て、棚からボタモチ、ありがと〜と言っていたら、本当に有難い事が起たのです。

N社長は悪人ではないのですが
  N社長は、決して悪い人ではありません、生真面目で働き者です。目の前で詮抜きを曲げて見せて、アンデルセンの久村マスターやサイババさんの話をすると、目を丸くして熱心に聞かれました。最後にウーンとうなりながら確かにこの目で見たけん、何とか分かろうとしょおたが、長年受けてきたマルクス主義教育が邪魔して、どうしても頭が受け入れようとせんのじゃ」と言われました。心も身体も魂も力を緩めて自分自身に「ありがとー」、自他の区別無く内も外も無いというルンル意識と、史的唯物論を信じ階級闘争を必然とする意識が、極端な形で顕在化したのかもしれません。今回の出来事は、物の世界から心の世界への転換の雛型を示しています。 ん・・・ ほんまかいな?・・・?・・・

そして今は我が社が侵略中
  2015年現在、うちは息子が社長になり、N社長の地盤だった地域に侵攻しています。倒産後に社員さん達が新会社を立ち上げて営業を続けていますが、メーカー数社が売り上げに不満を持っていて、京都で一番力を持っている我が社に販売権を委譲したのです。
 会社が隆盛な頃にN社長の尻馬に乗って、社員さん達も私やうちの社員を脅していましたので、報復ではありませんがメーカーの意向に沿う事にしました。

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