絹の褌
(ふんどし)

98年11月

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ふんどし騒乱図
絹のふんどしに嵌りました
 テレビのウルルン滞在記で、山本太郎が褌を着けているを見て、かっこいいなー欲しいなーと思いました。滋賀県の長浜へ「長浜ロマンビール」を飲みに行ったときに、絹製品専門店「よつづか」に立ち寄りました。「何色の褌にしましょうか?赤もありますよ」と作務衣姿のご主人が聞きます。家の周りのスーパーマーケットや呉服店で「ふんどし」と言うと、店員さんがニヤニヤしながら「そんなもの、置いてません」と何度も断られた後の出来事です。

 無難に、白でお願いしますと出されたのが「丹後ちりめん・正絹の褌」3千5百円也です。一度に何本か買う冒険ができずに、とりあえず1本だけ購入しました。その日の夜に入浴後着けてみて、そのあまりの心地よさにすぐに大ファンになりました。こんなにさらりと清々しく、ゴムによる締め付けが全く無く、本当にリラックスできる下着は生まれて始めてです。頭の中までクリアーになった感じがします。中国旅行には絶対持って行きたいけど替えが欲しいなー、と思いながらも日がどんどん過ぎて行きました。

 中国旅行出発の前日に、近くに住む同業者の従兄弟がフラリとやってきました。京都の同業の協会長をしていて、ひとしきり業界の話をした後、「これから、長浜で開催されている環境博に行こうかと思ってんね」と言います。アレッ!またタナボタの神様が表れた。絹の褌2本、絹のU首シャツ2枚分のお金を預けて「行ってらっしゃい、ありがとう」と手を振りました。    

 中国から帰って、明治天皇の孫で世界軍産複合体を告発し続けている、中丸薫さんの講演を聞きに行きました。配られた資料を見ていてハッ!!
と気が付きました。明治維新と第二次世界大戦を通過して、日本の男性に起こった一番大きな変化は褌を着けなくなった事だ。だから多くの男性が覇気を失ってしまったのだ、これは彼達の陰謀じゃ〜 食材も芸術も生活習慣も全てを欧米流にすることが進歩だと信じこんでしまった私達。寒さ、ひもじさ、貧しさを体験せずに、母親に全て指示されて育った男達に今必要なのは、ふんどしに象徴されるものだ〜なーんてね・・・・・ もしも、日本中の男が絹の褌を着けたら、ちりめん業者の景気は良くなるし、もっとたくましくなり、本来のアイデンティティを取り戻すのではと日本褌愛好会」の只一人の会員は考えております。

相田翔子のファンになりました
  ところが若い女性については最近感心した事があります。元ウインクの相田翔子さんが、これ又ウルルン滞在記でインドの山奥に暮らす、日本人と同じ顔をした部族を訪ねました。学校で小中学生と交流したり、滞在先の家庭に大切にされたりした様子がレポートされています。彼女が日本の料理を食べて貰うと言うので、うどんか天麩羅をたどたどしい手付きで作るのかと思いました。ところが実に手際良く金属の器に、米糠と塩とニンニクと鷹のつめを入れた後、ビールをかけてかき混ぜています。

 あれーこれはと見ていると、瓜や胡瓜やカボチャのようなものを手際よくトントンと切って中に埋めこみました。 何日間かきちんと世話をして、見事な糠漬をたっぷり盛りつけて、ホームステイ先の家族に「ウマウマ」と好評でした。彼等は日本人とルーツが同じらしくて、言葉に共通部分が多く、納豆も造っています。ところが漬物文化は無かったようです。翔子さんは田舎で小さい頃から、おじいさんの漬物作りを見て育ったと、スタジオでの報告で話していました。ウインク時代の青臭い少女が、しっとりと美しい女性に変身し川で身体を洗い、野糞ができて、糠漬を手際良く作る姿を見て、「やらせ」も有るでしょうけど、カッコイーと思いました。

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